江戸時代後期に始まる歴史、絞り染めによる絵画的表現
甘木(あまぎ)絞りは、江戸時代後期から昭和26年(1951年)まで福岡県旧甘木市中心部で作られていた絞り染めです。
布を糸で括って防染し、藍で染めることを基本としています。
平成7年(1995年)から現在に至るまで皆で力を合わせ、保存・再興を目指して取り組んでいます。
ここでは、甘木絞りの歴史、技法、保存・再興活動、制作者の想いを紹介いたします。
甘木絞りの歴史|最盛期には日本一の生産量を誇り、海外にも輸出
甘木絞りは『筑前國続風土記附録』、『甘木根本』、『筑前国続風土記拾遺』によると、18世紀後半から産業として成立しました。
博多絞りとともに筑前絞りとして明治時代から大正時代にかけての最盛期には日本一の生産量を誇り、全国のみならず海外へも輸出されました。
しかし、世界恐慌や第二次世界大戦の繊維統制などにより、昭和26年(1951年)ごろには産業としては途絶えてしまいます。
産業としては姿を消したものの、甘木絞りの技術は個人の活動を通して脈々と受け継がれました。
そして、平成7年(1995年)に甘木絞りの保存と再興を目指して「甘木絞り保存会」が発足しました。
現在は4つの甘木絞り団体や個人が活動しています。
加えて平成27年(2015年)には、さらなる発展を目指し、上記の団体と個人による「甘木絞り連絡協議会」が発足しました。
甘木絞りの技術|鹿の子絞りを中心とする技法と藍染めの絵画的な表現
(1)絞り技法
時代によって変遷もありますが、甘木絞りは木綿の白布を糸で括って防染し、藍で染めることを基本とします。
染めた後に糸を解くと、括ったところには染料が入らず、白く染め残されて文様となります。
甘木絞りの代表的な絞り技法は「鹿の子絞り」「帽子絞り」「巻き上げ絞り」「三浦絞り」などです。
これらの技法とともに縫い絞りが併用されることもあります。
<画像出典>『甘木歴史資料館だより 温故 第61号』甘木歴史資料館
(2)染色技法
『福岡藩民政誌略』によると、甘木絞りは最初、博多絞りと同様に紅粉を用いた紅染めであったとされています。
しかし紅染めには退色する欠点があるため、次第に洗っても色がさめない藍染めへと変わっていったと考えられています。
甘木絞りの持ち味は、防染されて染め残された白色と藍色のコントラストの美しさです。
江戸時代から藍で染められ、大正時代には化学染料も用いられました。
現代においても、藍染めを主流として染色を行っています。
(3)表現の特色
甘木絞りの大きな特徴は絵画的な表現です。
甘木絞りの代表的な絞り技法は、他の絞り産地でも見られる基本的なもので、技法の数も多くはありません。
甘木絞りではこれらの限られた技法を効果的に生かして、絵画的な表現を生み出しています。
明治時代の作例は特に絵画的な表現が多く、大正時代になると鹿の子絞りや三浦絞りを全面に配したデザイン的な表現を見られるようになります。
これらの絞り技法や表現の特徴は、現代の新しい表現の中にも確実に受け継がれています。
作家 中村美香|伝統技法を継承しつつ新しい表現の可能性に挑戦したい
甘木絞りとの出会いは、「甘木絞りって知っている?」という妹からのふとした問いかけでした。
妹はフェイスブックで甘木絞りの記事を読んだとのこと。
私は美術大学にてテキスタイルデザインを専攻し、その中でも染色を専門分野としていました。
それにも関わらず出身地である福岡県の伝統的な染色である甘木絞りを全く知らず、自分の無知さを恥じました。
そしてすぐに連絡をとり、活動に参加させていただき、今日に至っています。
甘木絞りを知るまでは絞り染めに対して抽象的な表現のイメージを持っていました。
そのため「絞り染めで絵を描く」ともいえる、絵画的な表現を特徴とする甘木絞りに衝撃を受けました。
その時受けた衝撃は今も変わることなく、私を制作へ駆り立てています。
また、限られた絞り技法を組み合わせて無限の表現ができることにも刺激されます。
制限された中でいかに新しい表現を生み出すことができるかを常に考えながら制作しています。
甘木絞りを私たちに伝え届けてくれた先人への感謝の気持ちを大切に、伝統をしっかりと継承しつつ、現代の革新的な表現の可能性を追求し続けていきたいと思っています。